思春期の女の子をどのようにして手玉に乗せるか。
これは、僕が直面している課題であって、
このテーマを自分なりに消化するには相当な時間を要するように思う。
もしかしたら、一生かかっても十分には実践できないかもしれない。
でも、だからこそ、教育は面白い。
自分の理想があって、その理想どおりに教育が実施できたら、苦労しなくて済むが、僕にとっては理想どおりに物事が進んだら、逆に教員という仕事にそれほど魅力を感じないのかもしれない。
子どもは刺激的で、失敗をして、周囲に迷惑をかけて成長していく。
そうあることが、意味で子どもの本来の姿であって、僕としては、子どもとの信頼関係においてどう立ち向かっていくかが、教育の面白さのように感じる。僕自身も失敗から学び、成長していける。
さて、女の子。
女と男は、本能的にいろんな物事に対する考え方も違うようで、女子の兄弟や恋愛経験の多くない僕にとっては、女の子、特に「思春期の女の子が何を考えているか」がよくわからない。
何を考えているかよくわからない、つまり「どのように対応すればよいのか」かがよくわかならないのは困る。
僕が塾で教えている女の子は、授業中に「ピーチク、パーチク」話をしている。 「静かにしなさい」と話をしてもなかなか聞いてくれないため、何度も注意をするのである。 怒鳴って静かにさせることは、できるかもしれないけど、それは信頼関係が崩れてしまうし、経験上、 怒鳴って相手が聞くようになった経験は、一定の信頼関係の上で成り立つ。たまに、「いい加減にしなさい」くらいなことをいうと静かになるが、そういう対応の仕方は非常に疲れるし、いたちごっこである。理想は、僕の話を素直に聞いてくれることである。 下手にでたり、笑ってみたり、いろいろ試したが、どれもイマイチパッとしない。 放っておくのが一番良いのかもしれないが、勉強はよくできるので、彼女から発言したいということも多くある。そういうときに、彼女には発言してもらう。
でも総合的にみると、彼女は僕のことを嫌いなのである。嫌いなのは寂しいが、人間なので仕方ないとも思う。また、すべての児童から好かれる教師になるのは難しいと思っている。かといって彼女が僕を無視をしているかというとそうでもない。きっと、僕は十分に気がつけてないのかも知れないが、彼女との信頼関係を築く初期の頃に、上手に関係を築けなかったことに問題があるのだろう。でも、そのことをいまさら悔やんでも遅いし、僕は結局自然体で教えることが一番良いように思う。僕のカラーをクラスでどれだけ発揮できるかということは非常に大切なことであるとも思っている。
今の状態をどのように改善するかということに、僕はこれから対応していなかいといけない。 本来ならば保護者に連絡して、家庭でも話をするように言うのが良いのかも知れないが、 塾長先生からはそこまですることが良いという返事はいただいていない。 であるから、経験ではどうにもできない僕にとって、知識で攻めないと勝ち目はない。
こうして、結果的に僕は毎週末レポートを書きつつ、先人達のエピソードからヒントを探しに本屋さんへ出かけるのである。そんな週末であるが、僕は仕事をしているという意識と、学生であるという意識と両方を持ち合わせてがんばらないといけないのであることに最近になってようやくわかり始めた。だから、解決の糸口を見つけに本屋さんにいくことは、今の僕と将来の僕を助けるために役立つことなのである。
ケニア
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